登録年月日:2016.08.01
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一條旅舘(湯主一條)は、20代続く老舗旅館です。木造本館と湯向棟は、80年以上前に建設され、建設当時の姿を残しています。貴重な木造建築であり、国登録有形文化財に指定されています。 客室のある新館から食事会場になっている木造本館へ続く渡り廊下は、まるでタイムトンネルのようです。現代の旅館建築と昔の旅館建築の違いを体験することができます。新館には森に囲まれた露天風呂もあり、春夏は緑樹、秋は紅葉、冬は雪景色と、四季折々の風景を楽しむことができます。
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解説
一條旅館の祖先は、天皇に仕える貴族でした。戦国時代(1467~1615)には、駿河(するがの)国(くに)(現在の静岡県)はじめ中部地方を統治していた大名・今川(いまがわ)義元(よしもと)(1519~1560)に仕えていました。永(えい)禄(ろく)3年(1560)、勢力を争う戦争「桶(おけ)狭間(はざま)の戦い」に敗れて、東北へ逃れました。その旅の途中、ここ鎌先(かまさき)温泉郷(開湯1428年)で戦争で受けた傷をいやしたと伝えられます。以後、この地で宿屋を始めて、長い間、湯治宿として親しまれてきました。 この地は平らな土地が限られていることから、急傾斜の土地を切り開き、温泉客のニーズ動向に合わせて増改築を繰り返してきました。こうして、一條旅館は、鎌先(かまさき)温泉郷の中で最も古い歴史ある旅館となりました。今では、この地の歴史景観を継承する象徴的な旅館です。
昭和12年(1937)の集中豪雨でそれまでの木造本館が倒壊して建替えることになり、昭和16年(1941)に本館が完工しました。
木材は、一條旅館所有の山から切り出した樹齢およそ100年の杉を使用しています。地上3階、一部地下1階の木造4階建てです。
各階に銅板平葺きの庇(ひさし)と欄干が回され、木製ガラス戸と欄間上部の白漆喰壁が調和して独特の外観になっています。
外周面に壁がほとんどないものの、主要構造部を17センチメートル角の通し柱とし、建物中心に背骨となるような壁と直交する隔壁を配し、建物に柔軟性を持たせて壊れにくい構造になっています。三角形を単位にしたトラス形式の小屋組みによる(軸組)架構は、堅牢さに優れています。
平成23年(2011)に発生した東日本大震災時にも、一部の木製建具が外れたのみで、被害がありませんでした。
現在は宿泊客用の個室料亭として使われています。
湯向棟は、昭和8年(1933)に建てられ、切妻造りの屋根を鉄板で覆った木造2階建てです。
木造本館と同じく各階に廊下をめぐらし、座敷が全八室並んでいます。
現在の旅館に見られる窓際にある「広縁」と呼ばれる床梁スペースは、湯向棟や木造本館に見られる周り縁の名残です。当時の日本旅館の客室は、外廊下から各部屋に入る構造になっていました。しかし明治時代(1868~1912)以降、外国人が訪れるようになり、プライバシーを確保するため、外廊下に部屋ごとに仕切りを立て、部屋の反対側にドアをつける間取りに変化しました。また昭和27年(1952)に外国人旅行者に快適に宿泊施設を利用してもらうための「国際観光ホテル整備法」という法律ができました。その法律に広縁(テーブルと椅子を備えたスペース)を客室に設置することが定められています。
湯向棟と木造本館は昔の日本旅館建築に見られる外廊下がそのままの状態で残っており、旅館建築の歴史的な変遷を物語る貴重な建物です。現在は宿泊客用の個室料亭として使われています。
この建物は、「蔵(くら)」と呼ばれる、物資を安全に収納するための倉庫です。江戸時代(1603~1868年)に建てられ、建築年は不明です。
建築工事は、まず柱を立て、竹と植物繊維の縄で壁部分の下地を作ります。そこに土を何層にも塗って壁を設け、その上に消石灰を塗って仕上げます。これが漆喰壁です。燃えにくいので耐火構造となり、防湿にも優れています。
屋根は切妻造りで、鉄板で覆った屋根がのり、北側出入口には雨除けの小さな屋根、庇(ひさし)がついています。
出入口として土扉があり、その内部に二重になった板戸と縦格子の戸が付き、三重となっています。開口部はこの扉と土窓だけであり、火事が起きた際は土で塗り込め、延焼を防ぎます。
また、太い柱と太い横木の梁(はり)を基本とした頑丈な造りとなっています。2011年に発生した東日本大震災の時にも、被害はなく堅牢さを証明しました。
文化財情報
【時間】
チェックイン:15:00(最終チェックイン19:00) チェックアウト:11:00 ご予約・お問い合わせ:7:30-22:00
【定休日】
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【料金】
宿泊:2名1室 大人1名22,150円より ※料金は、人数、曜日、時間帯、お部屋などにより異なります